良医を育てるシステム作りを早急に

仙台で起こった準看護士筋弛緩剤殺人未遂事件は、終末期医療に携わっている私にとっては衝撃的事件であった。

この事件をニュースで聞き、京都の医師が同じ方法で安楽死事件を引き起こしたのをすぐに思い出したのは、私だけではあるまい。もし、今回の事件が京都の事件にヒントを得ているとすれば、医師は自分達の行為がコ・メディカルに及ぼす影響力の強さを再度認識しなければいけない。

マラソンの小出監督は「選手は監督の言う通りには育たない。監督のしている通りに育つ」と言っている。この言葉は子育てを含めあらゆる師弟関係に当てはまる。
翻って医学の世界はどうであろう。良医が育つような臨床教育をしていると自信を持って言える臨床系の教授が何割位いるだろうか。昨年の緩和医療学会のシンポジウムで緩和医療に最も興味を示さないのが教授であるとの発言があったが、教授ばかりでなく、私のような組織のトップである院長も同じである。教授や、院長や指導医である前にもう一度医療の原点に立ち戻る勇気を持たなければ、この国の医学は単なる分析の科学に成り果ててしまう気がしてならない。

12月22日から28日まで、インドのカルカッタにあるマザーテレサの施設にボランティア研修に行って来た。目的は本格的にホスピスを始めて4年が過ぎ、300名余りを看取ったが(約4割は在宅)、自分自身がホスピスを始めるにあたり精神的支柱であったマザーテレサ(私自身はキリスト教徒ではない。あえて言えばマザーテレサ教徒である)の取り組みを直に体験することで、今のままのケア方針でいいのか、自分の医療を検証したかったからである。

1952年8月にオープンした「ニルマル・ヒルダイ(ニルマルは清純、ヒルダイは心の意味、死を待つ家とよく言われている)」でボランティアをした。

ボランティアの内容は介護者の衣類、シーツ、毛布等の洗濯、物干し、食事の配膳、食事介助、食器の後片付け、食器洗い、体を洗う介助、リハビリであった。

これらの作業は殆ど手作業である。汚物が付いた衣類や毛布を手や足で洗い、久しぶりに汗を流し、筋肉痛を心地良く感じながら洗濯物を籠に入れ屋上の屋根に干した。そして、やせ細ってアバラが出ている人の体を手で洗っているうちに、涙が出そうになった。

GIVE,GIVE,TILL IT HURTS YOU.(汝を傷めるまで与えよ)

壁に書かれているマザーテレサの自己犠牲的な言葉が思い出された。

マザーテレサの施設は便利なものをあえて排除している。電気洗濯機があれば洗濯の時間が短縮され、マンパワーも少なくてすむのにと、つい考えたくなる。そう言えば、蛍光灯も見なかった気がする。マザーテレサは人間の手のもつ力をご存知だったのであろう。人は不便だからこそ、自分の力の必要性を確認できるのかもしれない。手作業が作業する人に与える満足感や達成感、また、幸福感を知り尽くしておられたのだろう。

WE CAN DO NO GREAT THINGS ; ONLY SMALL THINGS WITH GREAT LOVE.(私たちは偉大なことはできない。偉大な愛のある小さなことができるだけだ)

マザー自身手作業で実感なさったことをシスター達に伝えたかったのであろう。

ボランティアには世界中から来ていた。私が短期間で話しただけでも、ノルウェー、オランダ、イタリア、ドイツ、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、カナダ、日本からも多数来ていた。彼らと話をしながら、是非、日本の医学部の学生をこの施設のボランティアに連れて来たいと思った。世界中の同年輩の若者と接する機会を持つことにより、他の国の若者がどのような考えを持っているのか、自分の置かれている位置を確認できるであろう。経済力のない学生のために、全国の医師が資金を出し合い、経験させるシステムを作れないかと思った。医師会は政治献金に無駄なお金を浪費するより、良医を育成するために、ボランティア奨学金制度を作ったほうが、100年後の日本のためになることに気づくべきである。

良医を作るシステムを日本中の人が望んでいるに違いない。今真剣に日本の医療を考えなければ、アメリカ資本の医療に日本中が席捲されてしまいそうな気がしてならない。

「もし私たちの仕事が、ただ単に病人の体を清め、彼らに食事を食べさせ、薬をあたえるだけのものだったとしたら、センターはとっくの昔に閉鎖されていたことでしょう。私たちのセンターで一番大切なことは、一人の魂と接する機会が与えられているということなのです(マザーテレサ)。」

マザーテレサの施設には、この精神が脈々と流れていた。日本の医療を何とかしたいものである。早急に良医育成に取組まなければ、21世紀は医師にとっても患者さんにとっても不幸な世紀になる。

2001年1月15日 堂園晴彦