人間がかかる最も重い病気は孤独である

昨年の4月から検死の医師をしております。
お一人暮らしの方がご自宅で亡くなった場合、不審死でないかを確認するのが主な私の役目です。
その経験をもとに、先日ロータリークラブの会で「孤独」と「単独」という題のお話をしました。

 

昨今「孤独死」という単語を耳にすることがありますが、
私はひとりで亡くなることがすなわち孤独死であるとは思いません。
ひとりで亡くなっていても、前日まで「笑顔・微笑み」に囲まれていた方は「単独死」だと思っています。

 

医師になり40年近くがたち、たくさんの患者さんとの出会いで私が感じているのは
「人間がかかる最も思い病気は孤独である」ということです。
私はがんの末期の患者さんがたくさんの家族に囲まれて「ありがとう、ありがとう」とみおくられる場面もたくさん見てきました。
その一方で、生活に不自由はなくとも孤独から体調に不調をきたしてしまうケースもあります。

 

私が堂園メディカルハウスの隣に国土交通省の助成金をいただいて作りました「ナガヤタワー」のコンセプトは「微笑みを交わす人がいれば幸せ」です。
また、マザーテレサは、「まず一番近い人に微笑みましょう。それが平和の第一歩です」と、話しています。
イギリスには孤独担当大臣も設置されたようですが、今日会った誰かに微笑みかけて言葉を交わすこと。これは私たち皆にできる孤独対策ではないでしょうか。

(院長 堂園晴彦)

 

言葉綴り 44

「結果は困難を伴って出すべきである」 イチロー
週刊文春「野球の言葉学」 鷲田 康著
イチローはスポーツ選手がよく口にする「自分のパフォーマンスをすれば、結果はついてくる」という言葉を、真っ 向から否定するそうです。
イチローは
結果とは自分で求め、困難を乗り越えたときにだけえられるものだ、と言い切るそうです。
羽生名人は週刊現代の記事の中で自らの将棋人生をマラソンに例えており、今どの辺を走っていると思いますかとい う問いに、 「わからないです。でも、走りきった時には凄い解放感があるはずです。それが何歳の時になるのかも、予想できま せんけど」と、答えています。

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言葉綴り 43

「従わせる度量から 従う度量」へ
次女が10月に鹿児島に帰って来ました。 そして今新しいプロジェクトの中心人物として、
働いてくれています。 次女の世代はパソコンが普通にある世代で、世界の広さ感が私の世代とは全く違います。 娘と仕事をしながら、娘に従う度量の大切さを学んでいます。
どの年代でも自分より年下をつい軽視しがちです。 年上や上司は力ずくでも年下や部下を従わせようとします。 度が過ぎると下の者はやる気をなくし、組織は沈滞します。
西郷隆盛や勝海舟は年下の龍馬に素直に従いました。 また、「坂の上の雲」の東郷平八郎は秋山の作戦に従い、ロシアに勝ちました。
従い、その上で決断する、これが、本当の大物の度量では。

言葉綴り 42

道を極める人には共通した要素がある。 それは、第一にどうしようもない苦難と挫折を経験している。 そして,それでも、その人には『根拠なき成功への確信』がある。

鈴日秀子先生とのお話の中で、お聞きしたことをまとめました。 鈴木先生は「根拠なき成功への確信」という部分を特に強調されておられました。

私も今大事な局面に立っております。ライオンはいつも風に向かって立っているそうです。

私の根拠なき確信は「小さな試みかもしれないが、大きな意義を持つ」と胸に秘め、風に向かって生きたいと思 います。

言葉綴り 41  

マハトマ・ガンジーの言葉

「七つの社会的大罪」

原則なき政治

道徳なき商業

労働なき富

人格なき教育

人間性なき科学

良心なき快楽
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モハンダス・カラムチャンド・ガンジー(1869 年 ~1948 年) マハトマ・ガンジーとして知られるインドの宗教家・政治指導者 裕福な家庭に生まれ、弁護士になり南アフリカに渡るが、 アパルトヘイトの人種差別を目の当たりにし、英国からの 独立運動を指揮したがその形は民衆暴動の形をとるもので はなく、「非暴力・不服従」を提唱した。 その後、インドに戻り、イスラム教対ヒンズー教の紛争にも 心を痛め、宗教を超えた多くの人々に大きな影響を与え、その 思想は世界中に響いた。
1948 年、ヒンドゥー至上主義者によって暗殺された。

ガンジーの言葉は今の日本人に大切な意味を含んでいるような気がします。

言葉綴り 40

ペシャワールの選挙でタリバンが圧勝したのは、タリバンが受け入れられているからです。

中村先生もタリバンはいい人たちだと、話されました。

アフガニスタンもタリバン時代は世界で一番旅行者に安全な国でした。公園にカメラを忘れても、なくなることがありませんでした。盗みが見つかれば当然公開処刑で手が落とされます。麻薬には絶対手を出しませんでした。

ペシャワールでタリバンが圧勝したと言うと、皆、行って大丈夫なのと、心配しました。タリバン=危険という、日本の報道情報に染まってしまっているのです。

私たちは真実の声=現場で頑張っている人の声を大切にしましょう。

言葉綴り 39

「何もないから、工夫をする」

4月28日からペシャワールに1週間休養を兼ねて視察に行くので、中村 哲医師に電話をしました(現在日本です)。
そのとき中村先生が「現地は何も無いから、色々工夫をする」と言われました。
作家の村上 龍氏は「日本には何でもあるが、夢が無い」と、書いています。


私は忙し過ぎる毎日をおくっています。これはある意味では、何でもあるが、夢が無い生活かもしれません。自分の色々な経験が患者さんと話をする時、役立つと考え、忙しすぎる人生の悪影響に関し、学ぼうとしてきました。忙し過ぎる人生を忙しくなく出来ないのかが、今のテーマです。忙しくないというのは、暇というわけではなく、豊かに、深く、生きるにはという意味です。暇を望んでいるのではありません。


何も無いペシャワールだからこそ、何かを生み出す力をもらえるかもしれません。彼らの知恵を学んで期待と思っています。


中村先生と話をして驚いたのは、ペシャワールで最近選挙があり、何とタリバンが大勝したそうです。今ペシャワールはタリバンの政策が主で、アルコールも全面禁止だそうです。タリバンは大衆に指示され、北パキスタンはタリバンが主だそうです。


日本の報道と現実の違いにあきれていました。これは、国内の報道も同じで、医療現場の小さなことが、鬼の首を取ったように報道されているような部分もあります。他の分野でも同じでしょう。そして、だんだんそれが日常茶飯事のような気に社会がなってきて、規制が制度化されて、社会がますます窮屈になり、心が縮こまり、ひいては自殺へとつながっていくのでは。何せ、日本は世界一の自殺国です。


この国は、何も無いから工夫する豊かさを、学ぶ必要があると思います。自分も学びたいと思います。
この1,2年の抑うつから少しずつ脱皮しつつあります。その回答は「何も無いから工夫する」という言葉と何も無い所で生きている人の知恵の中にあるような気がします。
竜馬が江戸に遊学したように、ペシャワールに遊学しに行って来ます。

言葉綴り 38

「始めたものは、やめるわけにいかない。引き受けたものは、投げ出すわけにいかない。」
雑誌Big Tomorrowの3月号に尊敬しているプロレスラー「三沢 光晴」の記事が載っていました。
ジャイアント馬場が亡くなったあと、プロレスラーを辞めようと思ったそうです。
「もし、三沢光晴という一人のレスラーの気持ちだけだったら辞めていたかもしれない。でも、後ろを向けば自分についてくる人間が何十人といましたから。あのとき、これは辞められないと思ったね」と答えています。


私も堂園メディカルハウスを頼ってくる患者さんがいる限り、身を削ってでも、頑張らなければいけないと、このコメント読み感じました。今でも、難民のように病院を追い出されそうな患者さんが沢山相談に来られます。何とか対応したいのですが、看護婦さんの数が足りません。でも、始めたものは、求められている限り、辞めるわけにはいきません。妻といつも話しています。


三沢はさらに言います。「やりたいようにやらなきゃ意味ねえよ。テメエの人生なんだから。満足なんかしてたら、そこで成長は止まっちゃう」と。


私が今月末にパキスタンのペシャワールに行くのも、患者さんのために次なる施設つくりの視察の目的もあります。
堂園メディカルハウスで満足していたら、今まで私が看取った人から学んだものが生かされません。今まで亡くなった患者さんが教えてくださった何かを形にしなければ、怒られそうです。


新しい会社を作る時、マスコミは大手スポンサーがついたとか日本テレビと話ができているとか書かれたけれど、「言いたきゃ言っとけや」と言う気持ちだったと、三沢は言います。


私も堂園メディカルハウスを作る時自己資金0で親にも資金援助を受けず「時代が担保だ。採算はわからないが、勝算はある」と大見得を切りました。今でも、色々外野の声が聞こえますが、天に任せています。


「自信は自分がやってきたものの積み重ねだからね。明日、一週間後、あるいは一年後、もっと先になって振り返って時に、「今のオレはあの頃のオレより自信を持っている」と、確信を持って言えればいいんじゃなにかな。人生に”たら”、”れば”はない。後悔しても時間は戻らないからね。それだけを胸に刻んで、毎日を必死に歩んでいけばいいじゃないですか」


私はこの三沢に言葉にどれだけ勇気付けられたことでしょう。きっと三沢も一プロレスラーと社長という間で、色々苦労があると思う。しかし、最後の言葉など、行動が伴わない学者が書いた人生論を超えている。



自信なんてなくていいんだ。振り返った時「今のオレはあの頃のオレよりは自信を持っている」と、確信を持って言えるように必死で生きよう。

言葉綴り 37

「お金の年金より、友達の年金を」

仕事をしている時は毎日会う人の8~9割は仕事関係、職場の人です。
定年になると、毎日仕事であっていた人とは会うことがなくなります。
そうなると家でブラブラしてしまいがちです。
いくら年金が入っても、友と語らう機会が少ないのは、寂しいです。


私の父は年をとり診療所を縮小しても、色々な友達がおり、亡くなる寸前まで友に囲まれていました。
私が小さい頃父は「総理大臣から乞食まで友達だ」とよく言っていました。
いつも分け隔てなく人を大切にしていた父に、年をとってからの友は、若い時からの積み重ねであることを学びました。

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