21世紀の社会保障 ―医療と福祉が寄り添うために―

社会保障とは、その地域の人々が共有する意志や思想を具現化したものであり、その国の社会経済の反映である。

20世紀における社会保障の最大の目的は、人間の英知を集約し病気と貧困を原因とする死を遠ざけようとすることであった。

現在、我が国では、貧困の問題はほぼ解決され、世界一の長寿国となり、当初の目的であった「貧困と病気」は曲がりなりにもある程度達成できたと言って過言ではない。

歴史家の木村尚三郎氏は、二十世紀は「技術の世紀」であり、二十一世紀は「命の世紀」になると、述べている。言い換えると、二十世紀は「科学とお金と効率化」の時代であり、二十一世紀は「心と福祉と連携」の時代、つまり、人間が人間を直接支える「人的サービス」の時代と言える。二十世紀の効率化とは、可能な限り大量に生産し、貯蔵し、消費地へ素早く運搬することであった。二十一世紀の効率化とは人的サービスの充実であり、サービスを担う人の成長こそが最大の効率化といえる。

今、先進国で最も問題になっているのは「社会的孤立」と「精神的孤独」であり、これらの問題に対して社会保障として何ができるかが問われている。イギリスをはじめお隣韓国もこの問題に真剣に取組んでいるが、日本は気づいていながら目をそらし、議論されてこなかった。そのため、いじめ、虐待、高齢者の自殺の急増、失業率のアップ等が社会問題となり、これらの問題を解決する方法が我が国でも遅ればせながら、議論され始めている。

「社会的孤立」と「精神的孤独」に起因する社会問題を解決するには、従来の社会保障の考えでは対処できなくなっており、新しい社会保障の概念の構築が必要である。その糸口になるのがホスピス医療の取り組みであろう。ホスピスは医療の世界に留まらず、福祉、文化を網羅した新しい共同体の社会モデルになろうとしている。

ホスピス医療の原点は、チーム医療、ボランティアの積極的参加、多職種のサービス提供であり、最終目的は癌終末期の患者さんだけでなく、すべての人間が尊厳を持って生き、死んでいける社会を実現することである。今までの医療は病院という建物の中ですべてを完結させようとしていたが、ホスピス医療は病院に留まらず、在宅ホスピスへと移行しつつある。地域や家庭が医療の現場となることを実現しつつある。一人の癌終末期患者さんに家族、医療スタッフ、地域のNPOが寄り添い支える在宅ホスピスの取り組みは、今後ご老人の在宅ケア等のモデルになり、今までの福祉と異なった全く新しい社会サービスを生み出す可能性がある。

実際、現在の介護保険は、従来のお仕着せ方の措置制度サービスから、契約と報酬という概念で需要し供給するサービスへパラダイムを変化させようとしている。

二、三十年前であれば、在宅ホスピス医療は成り立たなかったに違いない。ホスピスケアは人間が直接人間を支えるサービスである。提供しようとする人と利用しようとする人がいてはじめて成立するものである。しかし、当時は病院至上主義であり、尊厳ある在宅死などごく一部の人の念頭にしかなく、殆どの人が一日でも長い生物的「生」を目標とする病院での延命至上主義であった。

社会が成熟するにつれて、人間は主体的に死と生を選択できるようになりつつある。主体的死、生の選択こそ二十一世紀のルネッサンスと呼べるのではないだろうか。そのような社会実現するためには、人が人に寄り添い、言葉や態度でコミュニケーションを深める文化を構築することが最重要である。

もう一度述べる。二十一世紀は命の時代、つまり、人間が人間に寄り添うことでお互いが救われるのに気が付く時代である。人間が人間に寄り添うとは、相手に対する「気配り」と「手助け」である。そして、この二つは人間にしかなしえないものであり、どうやって実現していくかが、これからの医療のみならず、福祉にも求められて課題ある。

今後医療と福祉が文化の相違から生じる価値観の壁を乗り越え、医療と福祉が『寄り添う』と言う課題の下、新しい社会サービスを構築することが日本を再生するために最重要である、と考えている。

河幹夫/堂園晴彦

※この文章は厚生労働省社会保障担当 河幹夫参事官の講演を基に、河様の許可得、私の考えを加筆したものです。