マザーテレサへの道

昨年末、12月22日から28日まで、以前から是非行ってみたいと思っていたマザーテレサの施設に研修ボランティアへ行くことが出来ました。旅の目的は、この4年間頑張った自分へのご褒美と、たった一人で始めたマザーの活動が何故世界中に広がったのかを学ぶためでした。多くの寒さで震えている人を救うには、多くの毛布が必要であり、どのようにしたら多くの毛布を得られるかを学びたかったのです。そして、そのことが学べれば、今後の自分自身を含めメディカルハウス(以下DMHと略す)全体の成長、発展に大いに役立つと思ったからです。マザーテレサはもう20年以上前から尊敬しておりました。DMHを始めるにあたり基本的な考え方で影響を受けており、また、特別養子縁組を始めたのも、マザーテレサの考え方に強く影響を受けています。特に、「なくても与えよ」とか「傷つくまで愛せよ」等の言葉に出会いその思いに深く共感しておりました。

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カルカッタの空港から一歩外へ出た途端、そこはむせ返るエネルギーに満ち溢れていました。多分マザーテレサも外国からカルカッタへ帰ってくると、カルカッタという街からエネルギーを貰ったに違いありません。犬も猫も勿論人間も同じレベルでその日の食べ物にありつくことに必死で生き、働いている一方で、路上に座り込んでいたり、寝転んでいたりの浮浪者も多数認めました。戦後まもなくの日本がこうだったのではと、直感的に思いました。
街の騒音のけたたましさは、すさまじいの一言に尽きます。すべての車が、自分の存在場所を知らしめるために警笛を鳴らしまくっています。どけどけというより、俺はここにいるぞ、これからそちらに行くぞという自分の存在を相手に知らしめるためにクラクションを鳴らしている気がしました。ニューヨークや日本のクラクションはどけどけというニュアンスで聞こえますが、カルカッタではブウー、ブウーがなりたてている割りにはうるさいと怒鳴り返す人は見かけませんでした。街全体は夜中までうるさく、ホテルで寝ていても外の音で何度も目が醒めてしまいそうです。朝は朝でイスラムのお祈りがスピカーから流れてきたり、早くから騒々しいです。不眠症気味な人は、インドで生活するのは大変かもしれません。街全体が、ごった煮状態と言う表現以外には表現しようがない街の光景です。その光景が延々と一日中続くのです。

清潔好きの人は一時間でもカルカッタにいるのは苦痛かもしれません。公衆道徳という概念はない国と思いました。特別不潔と言うわけではありませんが、2,300年の生活の匂いが染み付き、排気ガスと土埃とにすすけ、多くの車は何十年乗っているのかわからないほど、ぼろぼろ、でこぼこです。タクシーまでもがガタガタしていました。しかし、毎朝一生懸命掃除をしており、個人個人は割りと清潔好きで歩道にある消火栓のようなところからでている水でよく沐浴をしたり、床屋が路上やいたる所にありしょっちゅう髭をそったり散髪をして貰っています。生活用品も、大切に使っています。サンダル等の生活用品は修理をし、大切に使っているようでした。以前の日本のように修理業も大切な産業です。

生活をしていくための物品はあふれています。野菜は新鮮で、種類の多さにはビックリしました。果物も豊富で、また、肉屋もあちこちにありました。冷蔵庫が普及していないので、逆に新鮮なのかもしれません。

インドはカースト制度がしっかりと残り、看護婦さんの世界でも当然存在し、ガーゼ交換等をするのは低いカーストの看護婦で、一旦そのような行為をすると下のカースト看護婦と見られてしまうそうです。また、他の文化が入ってくるのを本能的に拒絶するそうで、大衆は今のままでいい、変わることは余り望んでいない気がしました。ただ、何回もインドに来ている人に聞くと、確実に街が豊かになり、路上生活者も減ってきているそうです。今インドはITの分野では世界でもトップクラスであり、将来は日本がインドの下請けをするのではないかといわれているほどです。街のあちこちにインターネットのショップがあり、コンピューターを持っていなくてもお店を利用してメールを送信していました。この点は日本より遥かに進んでいます。国が豊かになっている結果、公衆衛生も改善してきていると思いましたが、逆に貧富の差は益々広がるかもしれません。

インド以外の文化が入ってくるのを拒絶し、身分制度の厳しい世界でマザーテレサは1948年、38歳の時、第一歩をたった一人で踏み出したわけですが、その世界を目の当たりにして、最初の頃の努力、誤解、偏見等がどれほどすさまじかったか、ほんの少しですが、想像できました。

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マザーテレサの施設でのボランティア活動について説明します。

朝6時からミサ、お祈りが約一時間あります。ミサはマザーハウスの2階で行なわれます。クーラーはありません。ミサの参加は自由で、クリスチャン以外の人も参加できますが、マザーテレサが人助けのためには宗教を超越したことが、次の演説からもわかります。
There is only one God and He is God to all ; therefore it is important that everyone is seen as equal before God.
I have always said we should help a Hindu become a better Hindu , a Muslim become a better Muslim , a Catholic become a better Catholic.
神は一人しか存在しません。そして、その方はすべての人に対して神です。それゆえ、神の前ではすべての人が平等に見えることが大切なのです。
私はいつも言っています。ヒンズー教徒がより良いヒンズー教徒になるように、イスラム教徒がより良いイスラム教徒になるように、キリスト教徒がより良いキリスト教徒になるように、私たちはお手伝いをしなければならないと。
早朝にも関わらず、外の騒音はけたたましく、マイクを使用しての説教ですが、時々聞き取れないほどです。しかし、参加しているシスター(約2、30人)、見習いシスター(約5、60人)は敬虔にお祈りをしております。中にはあくびをしている人もおりました。ボランティアの参加数は日によって違いますが、私の時は約5、60人でした。皆椅子ではなく床に座り、お祈りをします。床には薄いジュ-タンがひいてあるだけですが、この点もマザーテレサの方針と思いました。久しぶりに早起きをし、朝のミサに参加しました。
7時になるとボランティアの人のために朝食が出ます。パンやビスケット、クラッカーに、ハムやソーセージ、バナナ、それに紅茶です。結構お腹一杯になります。食事の後は各自ボランティアをする施設に向かいます。ボランティア施設は10ヶ所ほどありますが、私が見学したのは、「ニルマル・ヒルダイ(ニルマルは清純、ヒルダイは心の意味、清い心の家、死を待つ家とよく言われている)」、「シュシュババン(シュシュは子供、ババンは家の意味、殆どが10歳未満の孤児で、恵まれない子供や病気の子供の家)」、「プレムダン(プレムは愛、ダンは贈り物の意味、身寄りのない老人や貧しくて医者にかかれない病人のための施設)」、の3ヶ所です。
私はニルマル・ヒルダイでボランティアをしました。ニルマル・ヒルダイまではバスで約20分の距離です。バスはすさまじく乱暴な運転で、がたがた、ブーブーです。車掌は愛想はあまり余り良くありませんが、不親切と言うわけではありません。外国人はカースト外のため余り差別もなく、そのバスに乗るインドの人と雰囲気の違う人はマザーの施設に行く人とわかっているようで、嫌な思いをすることは全くありませんでした。
施設自体は古い建物で、シンプルです。電化製品は見つけられませんでした。ガスコンロはありました。患者さんは男性と女性に分かれ、それぞれ、40~50人程で、簡易ベッドのようなベッドに寝ています。隣の人との距離は30cmほどしかなく、カーテンはありません。ずらっと並んでいます。医療に縁がない人は最初その光景に拒絶感を持つかもしれません。ボランティア期間中見学に来る人がいましたが、一部の観光客はさげすました目で、汚いものを見るように眺めていました。ニルマル・ヒルダイにいる人は一般社会から拒絶され、捨てられ、見向きもされないで死んでいく最も孤独で、貧しい人たちであることを理解しないで、ただ容貌や風体だけで判断すると、大きな間違いを起こしてしまいます。マザーテレサはこのような人々にこそ、愛を注ぎ、安らかに息を引きとって欲しいと望まれたのです。その証拠に「死を待つ人の家」の入り口には
THE GREATEST AIM OF HUMAN LIFE IS TO DIE IN PEACE WITH GOD.
人生の最大の目的は神の庇護の元、安らかに死ぬことである
と、書いてあります。マザーテレサはすべての人の中に神が宿っていると述べていますので、神は自分を愛してくれる存在と考えてもいいと思います。ただ、神は絶対的愛ですべてを許してくださるので、特別な存在と思います。
施設にいるすべての人が重症で死期が迫っているのではなく、街で息も絶え絶えの人が施設に入り、食事や薬で元気になり退院する人も結構いるようです。これらの人は身寄りもなく路上でうずくまっており、ほっておけばそのまま亡くなっていくような人たちです。栄養失調で結核を併発している人が多く、殆どの人がやせ細っています。施設はあくまで福祉的施設で、病院的施設ではありません。点滴をしている人もいましたが、まれです。
私は、洗濯、絞り、洗濯物を干す、食事の配膳、食器の回収、食器洗い、入浴介助、リハビリ介助をしてきました。
洗濯は汚物が多量に付いて不潔な物は施設で働いているインド人が洗いますが、それ以外はすべてボランティアが中心にしています。洗濯機を入れれば能率が上がると多くの誰でも最初考えると思いますが、すべてを手で行なうところに意味があると実際自分でしてみてわかりました。
キリストがらい病の患者さんにしたことと同じことをマザーテレサはインドで始めたのです。着る物はシンプルなズボン兼オムツと上着、食事は丸いステンレスのプレートにパンやお米にカレーを添えるだけでした。着る物は質素で、食事はご馳走ではありません。しかし、着る物はシスターやボランティアが心を込めて洗った衣類で、食事もお代わりができる量であり、シーツや枕カバーも毎日取り替え、機械の力を一切排除し、人間の持っている手の力をメインにしている方針を見て、「手の温もり」を大切にしているDMHが目差している方向が決して間違いでないと確信しました。
世界中から多数のボランティアが来ていました。私が話をした人だけでも、韓国、ノルウェー、オランダ、ドイツ、イタリア、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、カナダ、また、日本人も多数来ておりました。ボランティアの中には、何かを求めて、また、行き詰まりや、人生の方向性を見失いそうな時、来ている人が結構いるようでした。
私自身、汗まみれになり筋肉痛を感じながら汚物のついているズボンを洗濯したり、毛布を絞ったりすることで、マザーテレサの言葉
GIVE ,GIVE, TILL IT HURTS YOU.
傷つくまで与えなさい
の意味が少し飲み込めた気がしました。
このような状況の話をすると、社会を変えなければ本当の救済にならないのではないのかと思われると思います。かつてマザーに
「マザー、あなたは貧しい人に魚をあげていますが、釣り竿をあげて自分で魚を釣る方法を教えてあげた方が本人のためになるのでは」との質問に、マザーは
「それはあなたの仕事です。今、目の前に魚が必要な人が沢山いるのです」と答え、また、
「私は福祉活動をしているのではありません。私にとって大切なのは、群集としての人々ではなく、個々の魂なのです」と、答えています。
朝8時ごろよりボランティアの活動が開始し、11時過ぎに一段落し、軽食の時間になります。私の時はパン、ソーセージ、トマト、ジャガイモと紅茶でした。結構お腹一杯になりました。午後は3時から始まり、5時半頃までです。
ボランティアを体験し、日本にも同じようなシステムが出来ないか考えました。
簡易宿舎があり、お腹が膨れる食事が提供されれば、ボランティアを集中してしたい人は潜在的に日本には多数いるのではと思いました。特に、熟年や元気なご老人はそのようなシステム、場所を望んでいるのではないでしょうか。
また、若者はマザーテレサの施設でボランティアを経験することは、必修かもしれません。自分と同年代の若者が必死に働いている姿を街で見たり、世界中から来ている同年代のボランティアと話し合う機会を持つと、人生観、世界観が豊かになると思います。若者がマザーテレサの施設でボランティアをできるシステム作りも今後考えたいと思います。

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今回の旅行の目的の一つに、たった一人で始めた行動がお金を儲ける方法を全くもたないのに、何故活動が世界中に広がり、多くの人が集まってきているのか、そのシステムを少しでも知りたいと思ったこともあります。この文の最初にありますように、多くの人を暖めてあげるために毛布を多く得るにはどうすればいいかをマザーの所に行き学びたかったからです。
答えははっきりと見えました。
しかし、それは余りにもシンプルで余りにも当たり前であるがゆえに、最も困難です。目の前の誰からも相手にされず、捨てられ、人間としての尊厳を失い、寂しく死んでいく人に、マザーテレサがこつこつ、毎日、毎日、来る日も来る日も、愛を与えつづけている姿をみて、人々が少しずつ共感し、手を差し伸べ、千里の道も一歩から、塵も積もれば山となる、ローマは一日にして成らずのたとえ通り、やがて多くの人が集まり、凍えている沢山の人に毛布を手渡すことができるようになったのだと思いました。答えは
We can do no great things ; only small things with great love.
私たちは偉大なことはなにもできない。できることは大きな愛と共にほんの小さなことである
このことは本で読みわかっているつもりでしたが、現実にカルカッタに行き、街を感じ、ミサに参加し、シスター達の立ち振る舞いを見、施設でボランティアをしてみて、身近にマザーの息吹を感じて、わかりました。シスターや見習いシスター達が非常に明るく、笑い声があり、けな気な表情に感動しました。

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今回のボランティア研修を通して21世紀に私たちが目差すべき道が見えてきました。
私と妻はこの10年、痛みで苦しむことがなく安らかに死ぬための医療が鹿児島に根付くように、また、嘘で固められ、自分の人生の最後を自分で選択できないため孤独の中で亡くなることがないよう、努力してきました。また、全国でも類をも見ない堂園メディカルハウスをオープンしてから皆様とともに4年間、誠意を持ち精一杯努力してきました。今回の研修ボランティアでまだまだ私たちの活動は始まったばかりであることを実感しつつ、21世紀には、マザーテレサがこつこつなさってこられ、また、私たちも目差してきました「手の温もりとおもてなし」の医療が中心になってくると深く感じられました。

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もし私たちの仕事が、ただ単に病人の体を清め、彼らに食事を食べさせ、薬を与えるだけのものだったとしたら、センターはとっくの昔に閉鎖されていたことでしょう。私たちのセンターで一番大切なことは、一人の魂と接する機会が与えられているということなのです(マザーテレサ)。